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「文人論客 壺中之天」

東長崎 鰻家

月刊「正論」2019年7月号より掲載

『俺のことは忘れてくれ
   遺された特上鰻重』

 西武池袋線東長崎駅から続く商店街のはずれに「鰻家」はこぢんまりとたたずんでいる。
 主人の遠藤勲さんが鰻をさばき、二十三分間蒸して、焼きに入る。あれが自分のかな、と期待しながら客は三、四十分ほど待つことになる。
 その間、ホンダの創業者、本田宗一郎は一番手前のカウンターに陣取り、冗談を飛ばし、快活に話しかける。
「本当に気さくでね、店の中がパアッと明るくなるのよ。でも背広なんか着ないから、だれもわからないわよ」と女将の早苗さんは話す。本田は昭和二十七年、浜松から上京して以来、店の近所に居を構え、配達を頼むことも多かった。
 ある時、配達に行った従業員が店で見かけ、ようやくあの本田だと気づく。出張の際も必ず「会社員」と書くほど、肩書きで判断されるのを嫌った。社員から親父と呼ばれ慕われた姿は店でも変らなかった。
 メニューには鰻重は梅(二千二百五十円)からあるが、本田はいつでも特上鰻重(六千二百円)だった。ここは特上を注文するしかない。

(23分間蒸した後、身が崩れないように丁寧に焼く)

(この道、50年以上の遠藤勲さん。両手の3本の指には火ダコがある)


 待つこと三十五分、重箱が運ばれる。鰻重のふたを開ける瞬間はいつでも笑みがこぼれるが、恥ずかしながら生涯で最も高価な鰻重である。期待が高まる。開けると、焼き目とたれの香ばしさが鼻腔をくすぐり、はみ出す鰻の迫力に目を奪われる。愛知県一色産を一匹と四分の一を使う豪快さだ。
 端から慎重に口に運ぶ。ほろほろと崩れ、あまりの柔らかさに驚く。すっきりしたたれが鰻のうまみと甘みを引き出している。これはうまい。いくらでも食べたい。
「やってもみもせんで、何を言っとるか」が口癖の本田に「食いもせんで、高いだなんて」と一喝されても仕方ない。値段以上のおいしさにだれもが満足するであろう。
 雑談の中、本田は「女将さん、一家には主婦は二人はいらないんだよ」と話したことがある。本田自身も「自分と同じなら自分一人で十分」として、性分の異なる副社長の藤沢武夫に惚れ込む。経営に関し、全幅の信頼を置き、社長印に触ることもなかった。希代の技術者と優れた経営者が車の両輪となり、世界的企業に成長させた。本田が六十七歳、藤沢が六十三歳の若さで突然、退任する。引き際の鮮やかさに世間がうなる。「まあまあだったな」「そう、まあまあさ」と二人は言葉を交わした。
 鰻家も主人が黙々と鰻を焼き、女将が明るく切り盛りする。味も無論だが、本田は役割分担がはっきりした和気藹々とした雰囲気が居心地よかったのだろう。「いま渋谷の鰻屋にいるけど帰りに寄る」と女将に電話がかかってくることもあった。
 平成三年八月五日、八十四歳の生涯を閉じる。「俺のことは忘れてくれ」と言い、銅像を拒み、葬儀も行なわず、「ソニーがうらやましい」と本田技研と名付けたことさえ悔やんだ。数少ない遺品。それが好物の特上鰻重である。

(本田宗一郎)

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著者略歴

  1. 将口泰浩

    昭和38(1963)年、福岡県生まれ。明治大学卒業。産経新聞記者を経て、フリーのジャーナリストに。著書に『「冒険ダン吉」になった男 森 小弁』(産経新聞出版)など多数。

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