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井上和彦の「ニッポン再発見」

井上和彦氏「被災地で受け継がれる〝国の誇り〟」

西日本を襲った豪雨災害によって死者行方不明者は200人を超え、家屋や施設などに甚大な被害を及ぼした今次の「西日本豪雨」。

そんな災害にいま、全国から駆け付けた自衛隊員がこの猛暑の中で敢然と立ち向かっている。

彼らは、被災地へ急行するや孤立者救助を含む2282名(平成30年7月17日現在)もの人命を救い、現在も懸命に不明者捜索をはじめ道路の啓開、瓦礫撤去、そして被災者への炊き出しから入浴支援など、ありとあらゆる支援を実施している。

もちろんこうした自衛隊員の献身的活動は、今に始まったわけではない。

平成7年の阪神・淡路大震災の時も、また平成23年の東日本大震災でも、自衛隊は命を賭して国民の命を救い、そして被災者を救援したのである。

いな、阪神・淡路大震災や東日本大震災における災害派遣での経験と実績があったればこそ、現在の西日本豪雨災害での活動があるのだろう。

そこで、東日本大震災時の自衛隊の知られざる活動を振り返って、マスコミが報じない自衛隊の災害派遣活動の〝真心〟を知ってもらいたい。

平成23年3月11日の発災直後、災害派遣命令を受けて被災現場に急行した自衛隊員達は、当初被災地のあまりの惨状に言葉を失った。

なぜなら、隊員達が活動する同じ現場には、数多の被災者の御遺体が横たわっていたからである。

隊員達は、生存者を救助すると同時に、遺体の収容と搬送に携わることになったのだ。

それでも隊員達は、津波によって打ち上げられたヘドロの異臭が漂う瓦礫の中をかき分け各地で懸命な捜索活動を行なった。

隊員達は、倒壊した家屋の中や、足の踏み場もない瓦礫の山を素手で掻き分けて不明者を捜索し、変わり果てた遺体を発見すると丁重に搬送したのだった。

また子供の遺体が発見されると、隊員達は、涙を流しながら抱きかかえたという。

当時の統合任務部隊指揮官を務めた君塚栄治陸将(後の第33代陸幕長)は、たとえ何カ月経った御遺体でも、発見された亡骸を家族の元に届けるまでは〝行方不明者〟として、昨日今日亡くなった人と同じように遇することを命じたのである。

したがって、腐敗が進み損傷の激しい遺体であっても、隊員達はその遺体を数名で抱きかかえて搬送したのだった。

だがそれだけではなかった。

もはや自治体が機能していなかったため、自衛隊員が、安置所に搬送し御遺体をきれいに洗い流し、検視を終えた御遺体の土葬の手伝いまで行ったのである。

そして隊員達は、被災者の前では食事をとらず、あるいは、消耗する体力を保つための貴重な缶詰までも、ひもじい思いをしている被災者に差し出す隊員もいたという。

そんな隊員を見た上官が、後で、「食事を摂らずに、お前が倒れたらどうするんだ」と言っても、若い隊員は、「少しでも助けてあげたいんです。黙って見ておれなかったんです!」と、目に涙をためて訴えたという。

自衛隊員の崇高な使命感と被災者へのいたわりの心に対し、畏敬と尊崇の念が湧きあがってくる。

君塚陸将はこんなエピソードも披露してくれた。

「普段は、腹もちがよく、隊員達に大人気の赤飯の缶詰が配給されたんですが、現場の隊員達は、『祝いごとのときに食べる赤飯を食べる気になれない』として、返品してきたんです。そして、補給テントの中は、現場から次々と返品されてきた赤飯の缶詰の山となったのです。隊員達のこの被災者を思う気配りには、頭が下がる思いでした。本当に素晴らしい隊員達です」

さらに隊員達の心配りは胸を打つ。

津波によって壊滅した不明者捜索現場では、隊員らが瓦礫から見つかった財布や預金通帳などの貴重品、さらに家族の大切な思い出の詰まったつまったアルバムなどを分別し、家族に届けられるようカゴに取り分けておいてくれたのだった。

ある隊員はこう話してくれた。

「捜索活動をする際に、田んぼの中に、アルバムが散らかっていることもありますが、被災者の方々に届けて、大事な想い出をひとつでも戻してあげたいと思ってやっています」

これは決して「命令」などではない。隊員たちの自発的行動だったのである。

彼らは不明者の捜索活動や瓦礫の撤去作業をしながら人々の〃思い出〃を取り戻そうとしてくれたのだった。  

君塚陸将はこう話してくれた。

「我々自衛官は、国民を守り、国家を守るのが本分であります。そしてこの災害派遣に臨んでは、我々が〃最後の砦〃であることを自覚して任務に取り組んでおります。そんな我々に、『感動した!』『ありがとう!』、中には『皆さんは我々の誇りです!』といった暖かい激励のメッセージをいただいており、このことが我々の励みとなりエネルギーとなっております。」

献身的な隊員の活動に対し、被災者の人々は隊員を称え、そして感謝とエールを送った。

避難所となった女川総合運動場の総合体育館に身を寄せていた被災者の方々に話を聞いた。

すると老人の一人は拝むような表情で言った。

「あ~ぁ、頭が下がります。自衛隊の皆さんは、献身的によくやってくれてます。え~たいしたもんですよ!」

またある男性は神妙な面持ちで話してくれた

「任務とはいえ、ご苦労様です。多くが、いままで経験したこともなかったでしょうが、そんな顔をひとつもみせずに、任務を遂行しようとする姿を見ると、ほんとうに頭が下がります」

食事中のご夫婦に伺ってみると、ご主人は、目に涙をためて声を詰まらせた。

「…自衛隊の皆さんへの感謝は言葉では言い表せません…嬉しいです」

そしてその隣の仕切りの区画で避難生活をおくる初老の女性はこう言うのだった。

「こういう状況になってはじめて、『あっ、こういうことだったのか!』ということがわかりました。いつもテレビで災害派遣の様子などを観てましたが、対岸の火事でした。それで、実際に自分が被災してはじめて、自衛隊がこんなにたいへんなことをやってくれているんだということがわかりました」

妻が津波で流されたという初老の男性は、目を赤くしてこういった。

「家内は3日目に自衛隊に見つけてもらったんです。そりゃ、自衛隊だって同じ人間だもの、つらいと思うよ。遺体が腐敗して臭ってくるし…。それでも、ほんとによくやってくれていると思う。ありがたいです!」

また小学生の息子と2人で食事中の若い母親はこう語ってくれた。

「アルバムを自衛隊の方に見つけてもらったんです。『これ見てってください!』と言われて見たら、うちのアルバムだったんですよ。もし、自衛隊の方に声を掛けてもらえなかったら、大切な思い出も取りもどすことはできませんでした…。ほんとうに助かっています。自衛隊にこんなに助けてもらえるなんて思ってもいなかったです!」

そして80歳の老女はこう語ってくれた。

「感謝しています! いつも手を合わせているんですよ! いろいろやってもらってます。私は年寄りだから、いまの洗濯機の使い方がわからないので『すみません、これどうすればいいんですか?』と呼んでも、いやな顔ひとつせず、親切に手伝ってくれるんです。私は足が悪いんですが、自衛隊の方が重い洗濯物を持ってくれたり、もうほんとうに感謝しています」

そしてこの老女は、話を聞き終えて立ち去ろうとした私を呼びとめ、語気を強めて言った。

「今度生まれ変わったら自衛隊に入る!私は80歳のばあさんだけど、しみじみ思いました! 七たび生まれ変わっても自衛隊に志願します! 入隊する!」

その目には涙が溢れていた。

また2人の中年女性はこう話してくれた。

「自衛隊の方がいらっしゃるだけで心強いんです。自衛隊員の姿を見るだけで、ただここらへんを歩いている姿を見るだけで安心するんです」

2人は顔を見合わせながらこう言って頷いた。

「お風呂や洗濯するときも、すごく親切なんです。自衛隊の姿を見ているだけで、癒されます。ほんと、癒されるんです」

自衛隊員の存在そのものが、被災者に安心を与えていたのだ。事実、余震が続く女川地区では、大きな揺れがくると、条件反射で自衛隊員を探し、隊員が視界に入ると安心して落ち着くのだという。

被災者にとって自衛隊員はいわば〝精神安定剤〟の役目も果たしていたのである。

そして発災翌月、追波川河川運動公園(宮城)に設けられた宿営地内を歩いていた第14戦車中隊の石井宣広3曹(当時)は、見知らぬ少女から「これ、読んでください…」と封筒を手渡された。

そこには、覚えたてのたどたどしい文字でこう綴られていた。

    「じえいたいさんへ。

      げん気ですか。
      つなみのせいで、大川小学校のわたしの、
      おともだちがみんな、しんでしまいました。
      でも、じえいたいさんががんばってくれているので、
      わたしもがんばります。
      日本をたすけてください。
      いつもおうえんしています。
      じえいたいさんありがとう。

                     うみより」

石井3曹は私にこう語ってくれた。

「感動で胸がいっぱいになりました…。あの頃は、発災から一カ月が経とうとしており、疲れもたまっていたのですが、あの手紙で皆が勇気づけられ、『明日からも頑張るぞ!』と勇気が湧いてきました。そして自分達のやっていることが人々のためになっているんだ!とあらためて認識しました」

その後、この手紙は女川の第14旅団の指揮所に届けられ、たちまち各派遣部隊に伝わっていった。

中にはこの手紙のコピーを手帳に挟んで災害派遣活動に励む隊員もいた。

少女が覚えたての文字で綴った『日本を助けてください』の切実な願い。まさしくそれは全国民の願いでもあった。

この少女の手紙は、敢然と国難に立ち向かう自衛隊員にとって最高の勲章だったにちがいない。

こうした東日本大震災における災害派遣活動の経験と実績、そして国民の感謝の言葉を〝心の勲章〟として、今日も猛暑の中、自衛隊員は西日本豪雨災害の派遣現場で真心を込めて災害派遣活動に汗を流しているのである。

自衛隊は我が国の誇りであり、日本国の至宝である。

(平成30年7月25日配信)

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