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大高未貴の「Be here now!」〜心の時代の夜明け〜

大高未貴 長崎反日街道異界紀行㊤「大浦天主堂」

久々に異国情緒あふれる長崎を訪ねた。

ここはポルトガル船の平戸来航、カトリックの宣教師フランシスコザビエル来日、出島、唐人屋敷、グラバー亭と明治維新といった異国との交差の歴史、そして原爆投下という悲劇にみまわれ、日本の近現代史の正負の歴史を背負い続けてきた。

近年では「竹島のみならず対馬も韓国領」だなどと言って憚らない韓国の暴言に危機感を募らせている。

ともあれ重たい歴史を棚上げすれば、女性の一人旅には実に魅力的な街だ。長崎市を東西に貫く路面電車は市民や観光客の足として、けなげに活躍してくれるし、フラリと立ち寄ったカフェや雑貨店は横浜・神戸顔負けのお洒落でエキゾチックな店がある。

中華街から思案橋に向かうアーケード商店街は賑わいを見せ、健全な老若男女で溢れかえっている。

ところが思案橋界隈を起点に突如 “異界”が現れる。

思案橋とはかつて日本三大遊郭と言われた丸山遊郭に殿方たちが、行くか行かないか思案したことに由来する。坂本龍馬の亀山社中も利用していたという当時の面影を遺す料亭「花月」や、芸者屋の取締りをする長崎検番などがあり、粋な芸者さんが行き交う花街。

丸山を起点に“オランダ坂”と名付けられた坂は、当時出島のオランダ屋敷へ出入りする丸山遊女の通った道。丸山を織りなす陰翳は、華やかな花街で生きた女性達の人生と静かに折り重なるようだ。

6月30日、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」が世界文化遺産登録された。17世紀から19世紀にかけての日本におけるキリスト教徒圧迫の歴史が登録された。

登録に湧く長崎に拍車をかける長崎に水を差したくないが、どうしても触れておかねばならない点がある。〝潜伏キリシタン〟に関しての説明で、日本側の主張がすっぽりと抜け落ちていることだ。

詳細は今後、月刊「正論」で紹介するが、ここでは長崎を歩いて気付いた、仰天の反日要素について紹介させていただきたい。

その第一弾が「大浦天主堂」だ。

5月下旬に取材で訪れた長崎は空港も長崎駅前も世界遺産登録目前に祝賀ムードにあふれていた。

路面電車で長崎を代表する教会・大浦天主堂に向った。入場料は1000円もするので修学旅行のメッカでもある教会はドル箱だ。

この天主堂に今年、キリシタン博物館がオープンした。

敷地内にあった旧羅典神学校、旧長崎大司教館を資料館に改築し、「禁教期・潜伏期の歴史」のコーナ-が設けられたのだ。

資料館に入るとすぐにカトリック長崎大司教区・高見三明大司教の写真と挨拶文が目にはいる。

館内の説明書きは日・英・ハングルのものもある。
「ようこそ大浦天主堂 キリシタン博物館へおこしくださいました。長崎・天草地方の教会群は、波乱に満ちたキリシタンの歴史を静かに物語っています。…(略)…キリスト教はFザビエル神父一行の渡来(1549年8月)以降、発展、禁教と迫害、そして復活という歴史を経ました。とくに260年間続いた厳しい禁教政策のもとで、浦上、外海、平戸、五島、今村(福岡県)などの信者たちは、仏教徒を装いながら信仰を内に秘め堅く守り伝えてきました。 …(略)…キリストを信じること自体が法に触れたため、拷問にかけられあるいは処刑されるという理不尽な扱いを受けながら、信者たちは権力者を糾弾することなく、むしろゆるし、彼らのために祈りました」
とある。

また、潜伏キリシタンとは関係ないと思われる一文に、「浦上4番崩れなどの大迫害、軍国主義による抑圧、そして原爆による大被災を乗り越え」が入り口場でも配られるパンフレットにもあいさつ文が紹介されている。

パンフレットには、秀吉の伴天連追放令について、「しかし1587年、秀吉はキリスト教の拡大に不安を感じ、博多で伴天連(宣教師)追放令を出し、国外退去を求めた」などと実にあっけない説明が述べられている。

伴天連追放令が発布された理由の一つが、イエズス会の日本人奴隷貿易に関与だった。

しかしそういった説明はない。これを修学旅行生はどう受け止めるのか…

キリシタン側から見た禁教・徳川幕府から見た禁教のコーナ-があり、ここでようやくイエズス会の功罪なども登場するかと思いきや、徳川の方は「1637年の『島原・天草の乱』の後、これまでのキリスト教の取り締まりを強化し厳しくしました。

「宗門改め」を徹底するため、キリスト像を踏ませる「絵踏み」や、「檀家制度」、信者を探させる「告訴賞金制」を実施しました」とあり、これでは一体何故幕府が禁教を強化したのか肝心な理由がわからない。

パンフレットには掲載されていないが、大きなパネルには潜伏迫害の歴史を伝えるものがあり、日本列島の地図を中心に北は岩手、南は鹿児島まで迫害され殉教した信者たちの説明がこと細かになされている。

さらに禁教と弾圧のコーナ-には、「久賀島の牢」を模したものがあり、「全島のキリシタン約200人が、わずか12畳ほどの狭い牢に捕えられ、約8か月にわたり苦しい拷問を受けました。

飢えや病、拷問のために42名が命を落としました。あどけない幼児から老人までが苦痛を耐え忍び、彼らは身を持って信仰の自由と良心の尊厳を主張しました」と日本語、英語で説明されている。

パネルにしても、当時の様子をおどろおどろしく再現する展示方法…

どこかで見たような既視感に襲われながら、脳裡をよぎったのがソウルにある慰安婦をテーマにした「戦争と女性の人権博物館」だった。

一方的な情報のみを展示し、来訪者におどろおどろしい印象を与える手法だ。

私はキリシタン弾圧の史実をPRすることに異議を唱えているのではない。とはいえ物事には道理というものがあり、当時の日本とイエズス会、双方の立場を両論併記すべきではないだろうか?

重たい足取りで最後のブースにいくと、「長崎・天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」のコーナ-があり、世界遺産登録の前祝いを兼ねて、華々しく展示されていた。

ちなみに資料館内は撮影禁止で、館内展示物をまとめた資料本も販売していない。

大浦天主堂敷地内にハングル文字が刻まれた石碑もあった。
「朝鮮教区 1866年 4殉教者 遺骨保管 記念碑」と、日本語と韓国語で書かれた石碑がここにも建立されていた。 4人の韓国人殉教者の遺骨を現長崎大司教が1882年から1894年までここ大浦天主堂に大切に保管してくれたことを感謝し、記念碑を建てる」
という説明文が刻まれており、韓国大田教区長ラザロ司教からの寄贈となっていた。

これは2016年9月20日に建立されている。

今後、触れるが、長崎大司教区・高見三明大司教と韓国のキリスト教教会との間には相当深い闇がある。

そのことが「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」ユネスコ登録と決して無関係とは思えない。朝鮮出兵を企てた秀吉は韓国からみれば宿敵だった。千年恨の国からみれば、このユネスコ登録こそ報復達成の礎となる。

その夜、思案橋近くの歓楽街にある小さなレストランに入った。

まだ18時前だったので客もおらず、暇そうな女店主が「お客さん、観光?今日はどこ観てきたの?」と話かけてきた。

私が長崎潜伏キリシタンに関する取材をしていると簡単に説明すると、彼女は「確かに考えてみれば奇妙な登録ね。でも、あんまし長崎いじめないでね。だって今年、三菱重工の長崎造船所が閉鎖になっちゃって、はっきりいって長崎経済ボロボロ。みんな三菱でご飯食べてたんだから…。この辺のスナックだってどんどん潰れちゃっているのよ。私の店だっていつまでやってゆけるかわかんないよ」

確かに女主人が言う通り、戦後のバラックの面影を遺す怪しげなスナック街にはところどころ廃墟と化したお化け屋敷のような店が点在していた。

日本の歴史を踏みにじって華々しく国際社会にデビューした大浦天主堂と、衰退してゆく思案橋横丁の雑踏をかき切るように、稲佐山の展望台に上った。

日本三大夜景と称賛される港町の夜景は、宝石箱のようにきらめきながら眼下にひろがっていた。

19世紀後半、女衒たちが暗躍し、〝からゆきさん〟がうまれた。

19世紀後半、主に東アジア・東南アジアに渡って、娼婦として働かされた日本人女性は、長崎県島原半島・熊本県天草諸島出身が多かったという。

そのルーツをたどればイエズス会が関与していた日本人奴隷貿易が浮上してくる。

「長崎潜伏キリシタン」ユネスコ登録は、その哀しい歴史まできれいさっぱり闇に葬り去ろうとしているように思えてならない。

長崎の夜景がかくも美しく妖艶なのは何故か?

(平成30年7月4日)

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