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小川榮太郎の「考へるヒント」

小川榮太郞氏 「バーンスタイン生誕100周年」

バーンスタインは一度だけ東京で聴いた。

彼の十八番だったマーラーの第九交響曲、時は確か一九八五年だったと思う。

イスラエルフィルとの来日だ。

まだ高校生だった私は、その頃、カラヤン、クライバー、チェリビダッケなど当代きってのマエストロのコンサートだけ、小遣いを貯めては通っていたものだった。

ところが、バーンスタインの公演は全く不発だったのである。

音が伸びない。

感情移入はするがどこか空回りの印象が付きまとう。

踏込みや抉りが今一つなまま、四楽章で綿々と歌うその歌にも私は共感できぬまま、コンサートは終わってしまった。

バーンスタインは、この時、東京でマーラーの〈第九〉を二回振っている。

私が聴いた前々日かの公演には友人が聴きに行っていた。

彼によれば、その演奏は息を呑むような神業だったと言う。

その感想を聞いた時は互いの主観の違いかと思ったが、翌月音楽雑誌に出たバーンスタインのインタビューを読んで妙に得心する事になった。

私の聴いた翌朝のインタビューでバーンスタインはこんなことを言っているのだ。

「一昨日は演奏会が終わったあと、マーラーが僕に電話してきたよ。
正にあれは自分自身で指揮をしていたようだったと、ね。
一方、昨晩はウィスキーがあり、友人との楽しい夕べがある。
人生はそれなりに帳尻が合うものさ」

友人が神業と感じた公演は、バーンスタイン自身、マーラーが直接指揮をしたような出来だと感じていたのだった。

残念な事に、私が聴いた日にはそういう奇跡は起きなかった。

コンサートが跳ねたあとのウィスキーが美味ければそれでいいじゃないか――

どんなに準備を重ねても、結局美神の投げかける幸運の微笑抜きに、音楽の奇跡は生じないものらしい。

かくて私の彼との一期一会は永遠の未発に終わった。……

 (平成30年8月15日)

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