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井上和彦の「ニッポン再発見」

井上和彦氏 「第九」日本初演奏に秘められた物語

通称〃第九〃(だいく)として知られるベートーヴェン作曲の交響曲第9番「合唱付き」―この名曲が日本で初めての演奏されたのは、いまからちょうど100年前の大正7年(1918)6月1日、徳島県にあった板東俘虜収容所のドイツ兵捕虜たちによるものだった。

いまも、この収容所の跡地に建つ門柱には「板東俘虜収容所跡」と「ベートーヴェン『第九』日本初演の地」という二つの表札が掲げられ、100年前の出来事が現代に語り継がれている。

だが、なぜドイツ兵捕虜がその身分でオーケストラ演奏などできたのだろうか。

第一次世界大戦(1914―18年)で、日英同盟に基づいて連合国側に立った日本は、青島や太平洋の島嶼で中央同盟国側のドイツ軍と戦った。この時のドイツ兵捕虜約4700人が全国各地の捕虜収容所に分散収容され、そのうち約1000人が四国徳島県の板東俘虜収容所に収容されたのだった。

あの頃、西洋列強諸国に肩を並べんと、がむしゃらに近代化を推し進めていた新興国の日本は、とりわけ軍の近代化は喫緊の課題であった。装備品や組織、そして教育訓練や戦術など軍事にかかわるあらゆることをヨーロッパ諸国に学んだ。もちろん戦争に関する国際法規も学び、日本は誰よりも忠実に国際法規を順守したのである。

ハーグ陸戦条約(1899年/1907年)には、捕虜を人道的に取り扱わねばならないことなど、捕虜の処遇について厳しく規定されている。

 

(平成30年6月20日)

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