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葛城奈海の「やおよろずの森から」

葛城奈海 海上自衛隊舞鶴基地で感じた、国守りの「今昔」

不肖葛城が会長を務める「防人と歩む会」の研修旅行で、10月15日、海上自衛隊舞鶴基地を訪れた。「弁当忘れても傘忘れるな」と言われる舞鶴だが、研修3日間のうち、2日目までは傘いらずの好天に恵まれた。五郎岳スカイタワーに上ると舞鶴を一望できた。若狭湾の中にある舞鶴湾ということで、入り組んだ緑の海岸線に、鏡のように穏やかな青い海が映える。

明治34(1901)年に海軍舞鶴鎮守府が設置されたのに伴い、東舞鶴の市街地は碁盤の目のように整備された。そして、翌年、市街地中心部の通りが、海軍の艦船に因み、「三笠通」「初瀬通」「朝日通」「敷島通」「八島通」などと命名され、艦船名がついた通りは合計32に上ったという。文字通り、軍港の町であった。

舞鶴といえば、一定年齢以上の方は、二葉百合子さんの「岸壁の母」を思い浮かべるらしい。が、若ぶるわけではないものの、私の中ではそのような連想はまったくなく、むしろ平成11年の能登半島沖不審船事件の際に、不審船を追ったイージス艦「みょうこう」が緊急出港した港、という印象が濃かった。当時、「みょうこう」の航海長だった伊藤祐靖氏の書いた『国のために死ねるか』(文春新書)には「そんなに大きな街ではない」と紹介されていたが、実際、訪れてみると思った以上にこぢんまりとまとまった港町だった。表敬訪問した中尾剛久舞鶴地方総監らも「半日あれば、大体見て回れる」と口を揃えた。

(平成30年10月31日)

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