THE 正論,  the seiron, THE SEIRON, THE正論

日本を正す!

MENU

いまこそ、日本を取り戻すとき 櫻井よしこ氏


民間シンクタンク「国家基本問題研究所」(国基研)の櫻井よしこ理事長は15日に東京・九段北の靖国神社境内で開かれた戦没者追悼中央国民集会(主催、英霊にこたえる会・日本会議)であいさつしました。櫻井氏は昭和天皇の玉音放送、昭和21年の「新日本建設に関する詔書」を紹介したうえで、新しい令和の時代の「一番大きな課題」として、憲法改正を実現する重要性を強調しました。
櫻井氏のあいさつ要旨は以下の通りです。

◇「玉音放送」

さきほど昭和天皇の玉音放送を拝聴しました。そして、思い出します。昭和21年1月1日の御詔書のことであります。玉音放送で昭和天皇は「堪へ難キヲ堪へ忍ヒ難キヲ忍ヒ」とおっしゃっている。そのお心で敗戦を受け入れ、ポスダム宣言を受け入れ、アメリカの占領政策を受け入れました。天皇陛下も、その当時の我が国の指導者たちもなぜそのような決断を下したのか。
天皇陛下は二つのことをおっしゃっておられました。このままいけば日本民族が滅びてしまう。日本民族を滅ぼさせるわけにはいかない。ご自分の責任として、日本民族を永続させなければならない。それが理由の一つであります。もう一つはこのままいけば、日本国の国体が失われてしまう。国体は今風にいうと国柄でございます。その国体が失われてしまう。そんなことがあってはならない。連綿と続いた我が国の国体を守り続け、民族を守り続けることが皇室の役割の一番大事なことだとお考えになっていらした。
そして、それがあのポツダム宣言の受け入れ、その後の占領政策の受け入れにつながりました。
思い出してみましょう。当時の日本がどういう状況であったのか。本当に多くの方が命を落としました。犠牲となって散華しました。空襲もありました。都市という都市は空襲を受け、我が国の工業基盤はことごとくといっていいくらい破壊されました。当時の人たちが苦労なさったことの一番大きな点は、国民を飢えさせないということでした。逆にいえば、多くの国民が飢え死にするかもしれないという本当に世界の最貧国の状況のなかに我が国は落ちてしまっていたわけです。

◇日本再建への決意

 それともう一つ、諸外国の我が国に対する見方は非常に厳しいものがありました。アメリカの世論調査では、昭和20年6月ですが、天皇陛下を処刑せよという意見が33%ありました。裁判で厳罰に処せというのが17%ありました。終身刑だというのが11%、追放せよが9%です。このような厳しい見方が天皇と日本国に向けられていました。
 そのなかでとにかく日本民族として、日本国として生き延びていくために、様々な無理無体な占領政策も棒を飲み込むような気持ちで飲み込んだはずであります。そのお心が「堪へ難キヲ堪へ忍ヒ難キヲ忍ヒ」に表現されているように、私は思います。
 堪えがたきを堪え、忍び難きを忍んで、棒を飲み込むような気持ちで、すべてを受け入れたその先に昭和天皇も、そして私たちの祖父母の世代の先輩たちも何を考えていたか。必ずいつの日か日本国を立派に再建するということだったはずであります。

◇民主主義は輸入でない

 占領政策によって、日本は本当に変わりはじめました。そこでさっき申し上げた昭和21年1月1日の詔書を思い出します。これは俗に「天皇の人間宣言」と言われた詔書でありますが、一番大事なことはそんなところにはありませんでした。この御詔書を出された三十数年後に天皇陛下は記者会見でおっしゃっています。
「人間宣言であるとか、そのようなことは第二のことであった。私が一番国民に伝えたかったのは、民主主義などのよき価値観は輸入のものではないということである。これを国民に大いに認識してもらう必要があった」
昭和天皇はこのようにおっしゃっています。昭和21年の元旦といえば、占領がはじまってまだ数か月です。その間に日本国民は、民主主義も男女平等も弱い人を守るさまざまな施策もみんないいことはアメリカが教えてくれたと思い込み始めました。ご承知のように当時は大変な情報統制が行われていて、そのなかで国民は戦前戦中の日本は一から十まで悪かったというふうに考え始めました。でもそうではない。そのことをお示しになるために、昭和21年元旦の御詔書で天皇陛下はこう言われました。
 「ここに新年を迎える。顧みれば明治天皇は明治の初国是として、『五箇条の御誓文』を下したまえり」
 ここにいらっしゃるみなさんは、「五箇条の御誓文」をそらんじていらっしゃると思います。時間の関係で全部は言いませんが、その冒頭の第一条は「広く会議を興し、万機公論に決すべし」というあのあまりにも有名な言葉です。これこそ私たちの国が、民主主義という名前はそこにありませんけれど、民主主義の真髄を実践していたことを表わす言葉であります。(拍手)

◇憲法改正に挑む

 私たちは歴史を振り返る必要があろうかと思います。平成の30年間、本当に平和で穏やかでありました。国内だけをみれば何の問題もない。けれどもこの平和も安寧も誰が日本に与えたのか。私たちが私たちの手で本当にそれを築き上げたのか。そうではないということを田久保先生がおっしゃいました。何かおかしいということを寺島会長がおっしゃいました。何かが本当におかしいまま70年以上が過ぎたんです。
 みなさん、いまこそ日本を取り戻すときなんです。(拍手)
 私たち日本民族は穏やかな文明をはぐくんできました。穏やかですけれども、いざというときには雄々しく立ち上がる勇気ある民族でもあります。このことを肝に銘じて、憲法改正に挑んで日本国を世界の目の前で、穏やかでそして勇気ある国家としてもう一回つくってまいりましょう。(拍手)そのために、この英霊の前で私たちは誓いたいと思います。令和の時代の一番大きな課題として、国家の基盤である憲法をきちんと改正して参ります、と。
一緒に力を尽くしましょう。ありがとうございました。

タグ

著者略歴

  1. 有元隆志

    ありもと・たかし 産経新聞社正論調査室長兼月刊「正論」発行人。1989年産経新聞社入社。政治部で首相官邸、自民党、外務省などを担当。2005年7月からワシントン特派員。13年10月政治部長、16年10月編集局総務、18年7月から現職

閉じる