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「文人論客 壺中之天」

銀座本店 浜作

月刊「正論」2019年10月号より掲載

「ココニ来ルト関西ノモノガ恋シクナルンダ」

「喰い切り料理」

 大坂新町で創業した「本店浜作」は昭和三年に銀座へ進出した。楽屋裏である厨房をあえてカウンターで見せる「喰い切り料理」を大阪から持ち込み、人気店となる。濃い味が主流だった東京では当時、珍しかった素材を生かす関西割烹は多くの著名人を惹きつけた。
「浜作ヘ行コウヨ、コノ間カラ鱧ガ喰イタクッテ仕様ガナインダ」
 谷崎潤一郎が自らの晩年を投影した「瘋癲老人日記」の冒頭に登場する。
 日本橋生まれの谷崎は関東大震災で関西に移り住む。当初、「関西のものは食えぬ」と、海苔は山本山、醤油は亀甲万、鰹節はにんべんと決め、わざわざ取り寄せていた。しかし、そのうちに「上方の料理を水くさいと云う江戸っ児は、足利家の厨人を嗤った織田信長と同様、田舎者である」とまで言い放つようになる。
 戦後、熱海で暮らした谷崎にとって銀座でうまいものといえば浜作だった。
「いつもカウンター左隅、板前の真ん前に座っていました。大柄で威厳があるので、少し怖かったですね」。三代目、塩見彰英さんは思い出を語る。谷崎は滝川豆腐や鯛の薄造り、鱧の落とし、鴫焼きなどを好んだ。
 早速、食魔と呼ばれた谷崎が絶賛した料理をいただくことにする。一品料理がメーンの店だが、お昼の鯛茶漬けコース(五千円)を注文した。

かぶりつきカウンター

(三代目、塩見彰英さん。カウンターのお客は板前の仕事をつぶさにみることができる)


 かぶりつきと言われるカウンター前で、塩見さんが星ガレイを見事にさばく。高級魚と知らず「干しガレイですか」と尋ね、恥ずかしい思いをする。
「料亭と違い、カウンターでお客さんと料理人との接点が生まれます。いろんな方にかわいがってもらいましたよ」
 指先の動きまで、あの谷崎に観察されたらと思うと我が身が縮むようだ。かぶりつきは板前と客の語らいの場であり、勝負の場でもある。
 この日、突き出しには鱧の皮の和えもの、滝川豆腐、青菜の煮浸し、星ガレイのお茶漬け、香の物、水菓子だった。お茶漬けは鯛、ヒラメ、スズキ、カレイ、オコゼなど時々の旬の魚に変わる。

お昼の鯛茶漬けコース。酒の肴にもいい

(お昼の鯛茶漬けコース。酒の肴にもいい)


 まずは滝川豆腐からいただく。にがりではなく豆乳を寒天で固めた豆腐はつるりと、のど越しがいい。胡麻で和えた星ガレイの刺身を海苔で包み口に入れると、胡麻の香りとカレイのさわやかなうまみが一体となる。酒の肴にうってつけだ。もちろん仕上げのお茶漬けが最高にうまいのは当然である。
「瘋癲老人日記」では主人公の七十七歳、卯木督助が性欲と食欲で生きている実感を満たそうとする。不能だったため、性欲は屈折した観念的なものだったが、食欲は浜作で鱧の梅肉と附焼、晒し鯨の白味噌和え、鯛の薄造りを食い、存分に楽しんだ。
 谷崎自身も近づく死に抗えば抗うほど性と食に貪欲となる。晩年、体が不自由になり箸が持ちにくくなっても浜作のカウンターに座った。作品中、督助に「ココニ来ルト関西ノモノガ恋シクナルンダ」と語らせる。めったに褒めない谷崎の本音である。

谷崎

(谷崎潤一郎)

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著者略歴

  1. 将口泰浩

    昭和38(1963)年、福岡県生まれ。明治大学卒業。産経新聞記者を経て、フリーのジャーナリストに。著書に『「冒険ダン吉」になった男 森 小弁』(産経新聞出版)など多数。

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