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戦前にもあったノーサイドの精神「水師営の会見」


ラグビーワールドカップ(W杯)日本大会では、日本が強豪アイルランドに勝利しました。日本の勝利もすばらしかったですが、大金星を献上したアイルランドの選手が試合後、花道をつくって日本選手を称え、それに日本選手もお返しの花道をつくって応える場面があり、称賛されました。こうした「ノーサイドの精神」はラグビーばかりではありません。戦前にもありました。産経新聞の喜多由浩文化部編集委員が、7月17日付「ノーサイド 水師営の会見」(歴史に消えたうた 唱歌、童謡の真実⑧)で、次のように書いています。

                                ◇

「乃木坂」(東京都港区)というと今の若者の多くは、その名を冠した女性アイドルグループを思い浮かべるだろう。この地名が国民の圧倒的人気を誇った軍人宅にちなみ、わざわざ改名されたという由来を知る人も少なくなった。

乃木希典(まれすけ)。日露戦争(1904~05年)旅順攻防戦の指揮を執った第三軍司令官。学習院長として、昭和天皇らの教育に携わった有徳の人。武士道精神を重んじ、その生き方は、ストイックなまでに清廉かつ質素。己に厳しく、部下や弱者に優しい人情家…。

往時の名声と人気は、国内にとどまらない。明治天皇崩御に殉じて自死した際には、世界中にニュースがかけめぐり、米ニューヨーク・タイムズは、1面と2面を大きく割き、肖像写真入りで報じている。

死後も、映画や芝居、書籍のほか、せっけんや薬など“あやかり商品”の発売が相次いだ。何しろ、「乃木」の名がつけば当たるし、売れたのだ。軍神とあがめられたり、過度に聖人視した物語が語られるのは、乃木の本意でなかったろうが、これほど国民に敬愛され、親しまれた人で他に思い浮かぶのは、西郷隆盛くらいだろうか。

乃木の軍人としての評価には当時から毀誉褒貶(きよほうへん)あったのも事実であろう。その魅力は、人徳と慈愛にあふれた人間味にあったと思う。民衆は、日本人が大切にしてきた「心」「生き方」の具現者として乃木を見ていたのである。

文部省唱歌『水師営(すいしえい)の会見』(佐佐木信綱(のぶつな)作詞、岡野貞一(ていいち)作曲)は明治43(1910)年の尋常小学読本唱歌に収録されている。

6万人近い死傷者を出す激闘の末、ロシア軍の旅順要塞(ようさい)を落とした日本軍の司令官、乃木は明治38年1月5日、旅順郊外の水師営の陋屋(ろうおく)で、敗軍の将ステッセルと会う。

明治天皇の命を受けた乃木は、礼節を忘れず、負けた相手の名誉を重んじて、帯剣を許し、「対等」の立場で遇する。ステッセルは、この戦闘で2子を失った乃木を哀悼し、日本軍の勇敢さをたたえた

1枚の写真が残っている。世界各国の従軍記者の求めで撮影されたものだ。日露両軍の首脳が「友人」のごとく、くつろいだ様子で肩を並べている。乃木は日本軍よりも先に露軍戦死者の墓所をつくり、ステッセルは愛馬を贈った。

勝っておごらず、敗者をいたわる-おびただしい犠牲者を出す死闘を繰り広げた後の両軍の将の会談の様子は世界に打電され、称賛を集めたのである。

唱歌『水師営…』も、戦勝を誇るものでも、英雄譚(たん)でもない。武士道の惻隠(そくいん)の情。あるいは、ラグビーの「ノーサイド」の精神と言ってもよい。一旦、戦いが終われば、敵味方“どちら側”でもない。~昨日の敵は今日の友…である。(敬称略、以下略)

         ◇

乃木とステッセルが会見した水師営の旧跡をはじめ、日露戦争の激戦地「203高地」、旧満鉄本社や旧ヤマトホテルなどをめぐる満州歴史学習ツアーを11月18日から5日間の日程で開催します。産経新聞の喜多由浩文化部編集委員が同行し「満州に残る歴史秘話」を説明します。

「文化部編集委員喜多由浩と行く満州歴史学習ツアー」は11月18日出発、22日帰国。4泊5日。
1人1室利用、最少催行人数10名。
1人180,000円(燃油/諸税込み)
成田出発、関空出発ともに詳細は(株)ビューツアーまで。
03-3288-225  平日10:00~18:00、土曜10:00~12:30、日祝休み
HP:https://www.beau-tour.com/


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