THE 正論,  the seiron, THE SEIRON, THE正論

日本を正す!

MENU

井上和彦の「ニッポン再発見」

井上和彦氏 知ってますか「日泰攻守同盟条約」

 

≪日本国及「タイ」国ハ相互ノ独立及主権ノ尊重ノ基礎ニ於テ両国間ニ同盟ヲ設定ス≫

 

昭和16年12月21日に公布された「日泰攻守同盟条約」(日本タイ軍事同盟)の第1条である。かつての大東亜戦争において、大日本帝国とタイ王国が同盟国であったという史実をはたしてどれほどの日本人が知っているだろうか。残念ながらこの史実は戦後日本の学校教育や歴史から完全に葬り去られている。

 

この同盟条約の成立過程では、日本軍の進駐が先行したため両軍の間で小規模な戦闘もあったが、条約締結後は、日本とタイは同盟国として大東亜戦争を戦ったのだった。事実、タイ政府は、1942年(昭和17)1月25日に米英に対して宣戦布告して連合軍と戦闘状態に入っている。ところが戦後、この史実は封印されてしまっている。

 

大東亜戦争前夜、アジア全域は欧米列強の植民地であり、この時点で、アジアで独立国だったのは大日本帝国とタイ王国だけだった。欧米列強によるこれ以上のアジア侵略を阻止し、そして欧米列強をアジア地域から追い出すには、まず日本とタイが手を組んで共闘することが他に選択の余地のない必然のフォーメーションだった。日泰同盟は、欧米列強のアジア植民地支配から、自国を守る最後の防波堤だったのだ。

 

実は、タイは伝統的親日国だった。満州国をいち早く承認したのはタイ王国であり、日本が、1933年に柳条湖事件をはじめ満州国を巡る問題で国際連盟を脱退したときも、かのリットン調査団による報告書の同意確認で42か国の賛成にもかかわらずタイ王国は棄権票を投じて日本側につく姿勢を世界に示してくれたのだった。

 

「アジアに生きる大東亜戦争」(展転社)によれば、タイは、日本がABCD包囲網で欧米列強諸国の兵糧攻めにあっていたときも、タイ国内で生産される生ゴムと綿のすべてを日本に供給してくれたといい、この決断をしてくれたがタイ王国第3代首相プレーク・ピブーンソンクラーム首相(通称・ピブン首相)だった。

 

そして日泰同盟が締結されるや、ピブン首相は、なんと重慶の中国国民党政府の蒋介石総統に対して「同じアジア人として日本と和を結び、米・英の帝国主義的植民地政策を駆逐すべきである」という勧告の電報を打っている。そればかりか彼は、タイ王国内のインド人やビルマ人に対して、それぞれの祖国の独立運動を促したという。タイ王国そしてピブン首相は、日本の掲げた〃アジアの植民地支配からの解放〃そして〃大東亜共栄圏〃の理想を誰よりも理解してくれていたのである。

 

大東亜戦争開戦の日となる昭和16年12月8日、山下奉文将軍率いる第25軍の第5師団および第18師団本隊は、当時中立国であったタイ領シンゴラ、パタニの両海岸に上陸し、バンコク経由で南下する近衛師団と共にマレー半島西海岸に向けて進撃を開始した。

 

日本軍がコタバルのほかに、タイのシンゴラおよびパタニに上陸したのは、マレー半島を東西に分かつ中央山脈があったからである。半島の東側から上陸してマレーシアの西側に進出するためには、比較的平坦な地形が続くタイ領を通過するほかなかったのだ。

 

仏印からタイ国内を進撃した近衛師団の近衛歩兵第5連隊の連隊長・岩畔豪雄大佐は、戦後、次のように回想している。

 

※写真は世界に残る唯一の日本製駆逐艦「メクロン」の前に立つ井上氏

タグ

バックナンバー

閉じる