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井上和彦の「ニッポン再発見」

ポーランド孤児救援に見る真の友好

ベリアのポーランド孤児救援は、シベリア出兵(1918―22)中の日本軍と日本赤十字社が行った日本初の大規模な国際人道支援活動だった。当時、ロシアのシベリア各地に多くのポーランド人が暮らしていた。彼らは、帝政ロシア支配下のポーランドで政治犯として流刑された人士や第一次大戦の戦乱を逃れてやってきた人々であった。

ヨーロッパの中心に位置するポーランドは、歴史的に隣接する強国ロシア・ドイツ・オーストリアに国土を蹂躙され続け、1795年には地図上から国家が消滅した歴史がある。その後のナポレオン戦争後に独立を果たすものの、心ならずもロシア皇帝の支配下に置かれたのだった。

そんな中でポーランド人達は幾度もロシアから独立しようと蜂起した。だが圧倒的軍事力を誇るロシア軍によって鎮圧され、蜂起に立ち上がった者達は政治犯としてシベリアに送られたのだった。その後、その国土が独露両軍の戦場となった第一次大戦では少なからぬポーランド人が避難民としてシベリアに逃れるなどして、当時のシベリアには15万人から20万人のポーランド人がいたという。

そんなシベリアに暮らすポーランド人に吉報が舞い込んだ。1918年の第一次大戦の終結をもって、ポーランドが独立を果たしたのだった。

ところが大戦末期に起きたロシア革命(1917年)とその後のロシア内戦のために、シベリアのポーランド人は祖国へ帰ることができず取り残され、それどことろか、戦乱に巻き込まれて命を落とす者、過酷な生活を強いられ餓死者が続出したのである。さらに追い打ちをかけたのが、1919年2月から始まったポーランド・ソ連戦争だった。このことでシベリアに残るポーランド人はより一層苦しい立場に置かれたのである。

こうした状況下、ロシア極東の街ウラジオストク在住のポーランド人達が「ポーランド救済委員会」を立上げ、せめて子供達だけでも救って祖国へ帰そうと東奔西走したのだった。だが各国は冷たかった。アメリカ赤十字も米軍のシベリアからの撤収を理由にこの申し入れを断ったのである。だが彼らの窮状を聞き入れた国があった。大日本帝国である。

1920年(大正9)6月18日、ウラジオストックでポーランド救済委員会を立ち上げたアンナ・ビエルキェヴィッチ女史が在ウラジオストクの日本領事および東京の外務省を訪ねてその窮状を訴えた。この申し入れを受けて日本政府は外務省を通じて日本赤十字社に救済事業を要請、原敬内閣の陸軍大臣・田中義一大将、海軍大臣・加藤友三郎も了承。こうして日本政府および日本赤十字と日本軍がポーランド孤児救援に立ち上がったのである。

この決定を受けてウラジオストクに戻ったアンナ・ビエルキェヴィッチ女史はこう回顧している。

《昂奮と混乱、笑いと喜びの爆発だった。子供たちは私を絞め殺すかのようにきつくしがみつき、昂奮のるつぼの中で「日本へ行くんだ」と叫び声がひときわ高く響き渡った…。》(『阿字門叢書3 欧亜の架け橋―敦賀―』涛声学舎)

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