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岩田温の「稽古照今」

朝日新聞の傲慢な記事

元日から縁起が悪いと思われるかもしれないが、元旦に『朝日新聞』の社説を読んだ。「2020年代の世界 『人類普遍』を手放さずに」と題した社説なのだが、「リベラル」と自称する人々の傲慢な態度が端的に表された文章だった。そして自分自身が傲慢な主張をしているつもりはなく、正しい主張をしているだけだと考えているであろうことも窺える。自らのみが正しく、他者を間違っていると批判する姿勢を一般に独善的というが、独善的な議論の典型例のような社説であった。

この社説では「自由や人権、寛容、多様性を尊ぶ姿勢」が「リベラル」だと定義づけ、現在、人類の普遍的な価値である「リベラル」な姿勢が失われつつあると嘆いている。具体的には「リベラルの理念は時代遅れになった。それは圧倒的な多数派の利益と対立している」と述べたロシアのプーチン大統領、移民を「敵視」するトランプ大統領、香港で自由を求める人々を弾圧する中国共産党が挙げられている。プーチン大統領、トランプ大統領と名指しで批判されているが、何故か習近平国家主席のみ名指しが避けられていることも興味深いが、ここではその問題は触れない。

『朝日新聞』は「人類普遍」の価値を否定する潮流が日本にも押し寄せていると警鐘を鳴らす。安倍総理自身は外交の場で「民主主義を奉じ、法の支配を重んじて、人権と、自由を守る」と述べているが、朝日新聞に従えば、「外向けと内向けでは大違い」なのだそうだ。

危険な兆候として朝日新聞は次のように続けている。

「国会での論戦を徹底して避け、権力分立の原理をないがしろにする。メディア批判を重ね、報道の自由や表現の自由を威圧する。批判者や少数者に対する差別的、攻撃的な扱いをためらわない。」

これらの安倍政権批判はいつもの見馴れた批判であり、正面から論ずる価値がない。世界の中で「普遍」とされてきた価値観から人々が離れようとしている事例としては余りにお粗末な事例だからである。本来、論ずべきなのは朝日新聞のように「普遍」的とされた「リベラル」な価値観から人々が逃れようとするのは何故なのかでなければならないだろう。例えば、マスメディアでは徹底的に批判されているトランプ大統領が国民の一定数から支持されているのは何故なのか。移民の受け入れに対して反対の姿勢を示す政治家がヨーロッパで支持されるのは何故なのか。こうした問いに対して正面から向き合うのが知的に誠実な姿勢というものだろう。

西側諸国が冷戦に勝利した後、自由・民主主義体制こそが人類にとって最善の政治体制であると説いたのがフランシス・フクヤマだった。彼は『歴史の終わり』の中で、ファシズム、共産主義を打倒した自由民主主義体制こそが人類の向かうべき目標であると指摘したのだ。フクヤマの議論は進歩主義者の議論だが、彼が参照した哲学者はヘーゲルであり、コジェーヴだった。マルクスは資本主義社会(自由民主主義社会)の次の段階に共産主義社会が到来すると予言していたが、フクヤマは、マルクスの議論は誤っていると断じたのである。

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