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三浦小太郎の「右であれ左であれ我が祖国」

劇団夜想会「めぐみへの誓い」は恐怖支配と闘う人々のドラマである

劇団夜想会の演劇「めぐみへの誓い」を最初に見たのは、確か2010年の1月末、紀伊国屋サザンシアターの舞台だったと思う。その後、2013年の俳優座での上演をもう一度見た。そして、三回目が、この1月のカルッツかわさきでの上演である。しかし、その間、拉致問題は闇を深めるばかりで、いまだ何人がこの日本から北朝鮮に拉致されたかも明確ではなく、一人の被害者も救出されてはいない。この演劇は10年間以上にわたって、北朝鮮というテロ国家の犯罪と同時に、わが日本国政府が国民保護と国家主権防衛という最低限の責務をも果たせていない現実を突きつけてきたのだ。

しかし、私も正直に告白しなければならないのだが、最初に劇場に足を運んだのは、半分以上は「義務感」であり、作品にはほとんど期待していなかったのである。私はささやかながら、北朝鮮の人権問題や拉致問題には関心を持ち続け、運動の末端にはいた人間の一人である。北朝鮮の問題に取り組んだ作品が、映画であれ演劇であれ、またアニメであれ小説であれ発表されれば、とりあえず感謝し拝見したいと思ってきた。しかし、少数の例外(韓国の映画で脱北者の悲劇を描いた「クロッシング」や、喜多由浩の日本と朝鮮半島の現代史を総合的に描こうとした「アキとカズ」など)を除けば、私個人は正直不満を感じるものが多かったのである。

難しいテーマであることは分かっている。しかし、多くの作品は、どこか拉致問題を、「不幸な運命に見舞われた家族の悲劇」としてとらえる傾向があった。被害者家族の苦しみや思いは確かに描かれ、運命に立ち向かって家族を救出しようとする勇気とヒューマニズムも感じさせた。しかし、それは確かにこの問題の重要な点であるかもしれないけれど、極論を言えば本質ではないはずだ。拉致問題を描くのならば、これが北朝鮮というテロ国家の犯罪であること、かつ、その国家がどのような体制であるか、そこでとらわれた拉致被害者がその体制下でどんな生活を強いられているかを描かねば意味がないのではないか。私はいつもそんな不満を抱くことが多かったのだ。

しかし、この「めぐみへの誓い」をみた時、私は、これまでになかった衝撃と感動を覚えた。この演劇には、北朝鮮の全体主義体制の本質を描き出そうという意志が明確に貫かれていた。まず、この拉致問題の、そして戦後日本と北朝鮮との最初の大事件である帰国事業がきちんと説明されている。北朝鮮を「地上の楽園」と偽って宣伝した朝鮮総連に騙された(かつ、日本の全政党もマスコミも結果的にそれに加担した)帰国者たちが、多く処刑され、また収容所に入れられたことが語られる。さらに、横田めぐみさんが海岸からさらわれ、工作船の中で泣き叫ぶシーン以上に、彼女が北朝鮮で強制的に洗脳教育を受けさせられ、約束のはずの日本帰国も許されず精神を病んでいく場面も残酷なまでに演じられる。

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