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「文人論客 壺中之天」

岡本太郎「三ノ輪 桜なべ中江」

 (月刊「正論」6月号より)

赤こそ男の色ではないか 全身を赤でそめたい

 吉原大門外、後ろ髪を引かれる客が遊郭を振り返ったといわれる見返り柳が立つあたり、かつて日本堤は高台で見渡す限りの葦原が広がっていた。隅田川の氾濫を防ぐための堤は昭和二年に取り壊され、いまはその面影もない。

 猪牙舟が通う堀割も残っていた明治三十八年、「桜なべ中江」は創業した。当時、二十軒以上の馬肉屋が軒を連ね、旦那衆が精をつけ、吉原に繰り出した。関東大震災後に再建された店は見事な風情を醸している。

土手通りに面する店は平成22年に国の有形文化財に指定された

(土手通りに面する店は平成22年に国の有形文化財に指定された)

 国の有形文化財に指定されている店内は一階が掘りごたつ式大広間、二階にも小間と大広間がある。一階の右隅が岡本太郎の指定席だった。

 「空いている三時ごろに一人で来て、混み始める五時頃まで静かにワインを飲んでいましたね」と四代目店主の中江さんは話す。通い始めた当初はワインなど置いてなく、岡本が姿を見せると、近所の酒屋に駆け込み、一番高いワインを買ってきた。

 「パリで食べたタルタルステーキをここでも食べられるようにしてくれ」

 パリから帰国した足で訪れた岡本の一言で、考案されたのが「タロタロユッケ」(二千九百七十円)だった。赤の印象が強い岡本はこんな言葉を残している。

——赤こそ男の色ではないか。激しさを象徴する 自分の全身を赤でそめたい ぼくが好きなほんとうの血の色というのは 人間が生命を賭けて危険な冒険に挑み その結果、パッと噴出する血

 まずはそのユッケからいただく。まさに噴出する血が滴る肉が盛ってある。口に入れると、とにかく甘味と旨味が芳醇である。一歳くらいの食用馬を使うのが通常だが、九州久留米で六〜八歳まで育てて熟成させた肉を冷凍せずに直送している。

 「他の店の馬刺しは脂と赤身が盛り付けられ、一緒に食べて口の中で霜降りにしますが、うちのはもともとの肉が霜降りなんです」

 名物の極上ロース(二千四百七十円)の桜なべを火にかける。上にのせている脂身が溶け始めると、肉の下に隠されている味噌を溶き、肉が桜色になったら、溶いた玉子で食べる。まったく癖は感じないが、牛肉の数倍も肉肉しい。馬肉本来はこんなにも濃密な味であることを知る。肉を食べた後に野菜を入れ、一煮立ちさせる。肉の旨味が野菜に染み込んでいる。

 最後は残りの割り下に玉子を入れ、ふんわりと仕上げ、ご飯にのせてかきこむ。これだけを食べたいという客もいるという。美味しくないはずがない。下町の馬肉に品など必要ない。締めのご飯までガツンとうまい。

 国産馬だけでなく、手頃なポーランド産の肉(一千四百七十円〜)も用意している。

名物の桜なべとユッケ

(名物の桜なべとユッケ)

 パリで修行中、古代メキシコの太陽崇拝の生贄儀式を知り、その血のドラマにした。赤は血の色でもあり、生命を凝縮した太陽の色でもあった。

——まことに、かつての日本人の生活は、しぶく、まるで色がなかった。戦後、私はこの陰気な惰性、環境と対決し、シャニムニ「ノン‼」と、原色の作品を描いた。私の発言も原色であった。

 その姿勢がいまもって色褪せない芸術と言葉を生んだ。

 向かいが吉原、裏手には山谷と日本堤をはさみ、人間の生が濛々と立ちこめる地に店はある。赤い馬肉を食べ、岡本は小柄な身体に生命の熱を蓄え、爆発させた。

岡本太郎

(岡本太郎氏)

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著者略歴

  1. 将口泰浩

    昭和38年、福岡県生まれ。明治大学卒業。産経新聞記者を経て、フリーのジャーナリストに。著書に『「冒険ダン吉」になった男 森 小弁』(産経新聞出版)など多数。

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