THE 正論,  the seiron, THE SEIRON, THE正論

日本を正す!

MENU

後藤新平に学ぶ感染症対策

武漢ウイルスの感染拡大が続くなか、「国難」をいかに乗り切るか。拓殖大学学事顧問、渡辺利夫氏の論考を紹介します。渡辺氏は台湾総督府民政長官、初代満鉄総裁などを務めた後藤新平を取り上げました。後藤は日清戦争後、凱旋してきた日本軍兵士の検疫事業において、手腕を発揮しました

日清戦争から帰還した兵士23万人以上でした。その中にはコレラ、腸チフス、赤痢などに罹患した兵士もいました。国内での感染拡大を防ぐためには、上陸前に何としてでも食い止めなければならない。それが日本軍にとって至上命題だったのです。検疫を担当する陸軍次官が、のちの日露戦争においても満州軍総参謀長として勝利に貢献した児玉源太郎でした。その児玉が目を付けたのが後藤です。後藤は「朝敵」であった仙台藩支藩水沢の出身、しかも、この時は、ある事件に巻き込まれて入獄の後、無実が証明されたものの浪々の身でした。それでも「一目会うや、この男なら帰還兵23万人を任せられる」と、児玉は直感したといいます。躊躇した後藤でしたが、児玉の下で、難事業を引き受けることになりました。

帰還兵の検疫のため、広島・宇品の沖合にある似島(にのしま)など3つの離島に検疫所が設置され、大型の蒸気式消毒缶が設置されました。当時すでに世界的に名前を知られていた細菌学者・北里柴三郎の技術指導もあり、後藤は効率的な検疫体制を敷き、3カ月以内に検疫を完了させました。

三カ所での罹患が証明された兵士は、真性コレラが369人、疑似コレラが313人、腸チフスが126人、赤痢が179人と記録されています。
「この数の罹患者が検疫なくして国内の各地に帰還していった場合の事態の深刻さは、いかばかりであったか」と渡辺氏は評価します。

この功績により後藤は、台湾に総督として赴任した児玉に随伴し、諸改革に取り組みます。
渡辺氏は後藤の足跡をたどりながら、「明治の教訓」として次のように記します。

「少なくとも私どもに二つのことを語りかける。一つは、コレラという往時にあっては治癒の方法がまるでなかった感染症に対して、限られた資源をあたうる限り凝集して事態に対処しようという危機意識、この危機意識を指導者が共有したこと。二つには、事態の対処にあたる指揮官に有力な人材を抜擢・配置し、彼らにほとんど全権を与えてことに臨んだ、この二つに違いない」

続きは、「正論」6月号をぜひお読みください。渡辺氏は本誌において、『小説台湾 明治日本人の群像』を約一年間にわたって連載しました。産経新聞出版から『台湾を築いた明治の日本人』として出版されています。

6月号の注文はこちらからお願いします。

https://id.sankei.jp/e/1316

年間購読の申し込みはこちらからお願いします。
https://www.fujisan.co.jp/product/1482/?gclid=EAIaIQobChMI_8vzzrCH6QIVQ3ZgCh1aUwF5EAYYASABEgL7m_D_BwE

タグ

閉じる