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「週刊正論」

追悼 岡本行夫氏~誰よりもラグビーW杯日本開催を喜んだ男の死


外交評論家の岡本行夫氏が4月24日に死去しました。74歳でした。新型コロナウイルスに感染したのがわかった4月中旬以降、容体が悪化したといいます。改めてこの病気の怖さを実感します。

岡本氏は月刊「正論」平成30年5月号で、国際政治学者の三浦瑠麗氏と対談し、「指導者は緊急時に自衛隊をどう動かすべきかなどを常に考えておかなければいけない。しかし、戦後、そうしたことを想定すること自体がいけないのだという誤った価値観が永田町や一部マスコミを支配してきました」と述べ、東日本大震災の際の当時の菅直人政権の対応を批判しました。

沖縄の米軍普天間飛行場(宜野湾市)の移設問題、イラク復興などに関わってきた岡本氏は、何よりも日米同盟の維持発展の重要性を強調していました。一部野党が「戦争法案」と反対を展開した安全保障関連法をめぐる平成27年7月の衆院平和安全法制特別委員会の中央公聴会に出席した岡本氏は「外敵の暴力から身を守り合う仲間のコミュニティに日本も参加すること」と述べ、限定的ながらも集団的自衛権の行使を可能とする法整備の意義を端的に語りました。

岡本行夫氏

岡本氏は中高年齢者の生きがいとなる活動を提供する特定非営利活動(NPO)法人「新現役ネット」の理事長を長年務めました。会合でたびたび岡本氏が紹介したのが外務省の後輩で、イラクで銃撃され亡くなった奥克彦大使のことでした。奥氏が亡くなった翌年の平成16年、関西で開かれたフォーラムで、奥氏が兵庫県伊丹市出身であることに触れ「関西人は決断が早く、とにかくやってみようやないか、と前へ進む。日本が今、欠けているのはそこかな」と偲んでいました。

英国留学生時代などを通じて奥氏が打ち込んだラグビーのワールドカップ(W杯)日本開催を誰よりも喜んだのが岡本氏でした。「奥の代わりに日本全国をまわり、しっかりみてきますよ」と嬉しそうに話していたのを思い出します。

岡本氏には教えられることばかりでしたが、私どもが展開していた「歴史戦」をめぐっては意見が一致しませんでした。岡本氏は「大切なことは日本が挑発しないことだ」として、米国などで日本の立場を積極的に説明することに否定的でした。この立場の違いは解消されることはありませんでした。ただ、岡本氏が朝日新聞の慰安婦報道をめぐる第三者委員会の委員として出した個別意見は特筆すべき内容でした。

「ヒアリングを含め、何人もの朝日社員から『角度をつける』という言葉を聞いた。『事実を伝えるだけでは報道にならない、朝日新聞としての方向性をつけて、初めて見出しがつく』と。事実だけでは記事にならないという認識に驚いた」

岡本氏はTBS日曜朝の番組「サンデーモーニング」にも出演していました。あるとき「悪名高い番組にどうして出演されるのですか」と聞いたことがあります。「一方的な意見に傾くのを引き戻すためですよ」との答えでした。

ブロガーの藤原かずえさんによると、岡本氏の最後の番組出演は3月22日。岡本氏はスタジオにある花を指して「経済がどこかで反転するのは間違いないと思います。いずれにせよ、後ろに咲いている花のように素晴らしい日がまた帰ってくることを祈りましょう」と語られたといいます。謹んでご冥福をお祈りします。(正論調査室長兼月刊「正論」発行人 有元隆志)

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著者略歴

  1. 有元隆志

    ありもと・たかし 産経新聞社正論調査室長兼月刊「正論」発行人。1989年産経新聞社入社。政治部で首相官邸、自民党、外務省などを担当。2005年7月からワシントン特派員。13年10月政治部長、16年10月編集局総務、18年7月から現職

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