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葛城奈海の「やおよろずの森から」

コロナでふたたび鞭打たれる被災地に思いを

壁が剥がれ落ち鉄骨がむき出しになったパチンコ屋、割れたガラスの奥にひしゃげたブラインドが垂れ下がる電気屋、枯れ草越しに見えるショーウィンドーに色あせた婦人服がそのまま吊るされている洋品店、一階が二階に押しつぶされたままの木造家屋…。

時が止まったままの福島第一原発周りの「帰還困難区域」を目の当たりにし、言葉を失った。東日本大震災から9年。新型コロナウィルス感染拡大に伴う緊急事態宣言が出される直前、4月初旬に訪れた、被災地の実状だった。対照的に、宮城県の南三陸町や女川町は、すっかり様変わりしていた。盛り土によるかさ上げで地形が激変し、目をこらさないとかつての面影を探しあてることができないのだ。

16mの津波に襲われ、死者・行方不明者831人を出した南三陸町は、町の中心部を10mかさ上げし、津波と同じ高さの「祈りの丘」を造った。南三陸と言えば、防災庁舎から避難を呼びかけ続けて波にのまれた町職員・遠藤未希さんのエピソードが知られる。彼女を含む43名が亡くなった防災庁舎を残すかどうかで、町を二分する激論になった。町民にとっては、辛い記憶が蘇る場所。しかし、未来の子孫たちに津波の恐ろしさを伝えるのに、これ以上リアルな遺構はない。

佐藤仁町長によれば、パブリックコメントを募集したところ、600件超の意見が寄せられ、「保存賛成」が65%、「解体」が30%、「町長に一任」が5%だったという。結果、県有化し保存することを決定。高さ16mの「祈りの丘」から見れば、鉄骨が露わになった3階建て、高さ12mの旧防災庁舎は見下ろす位置関係になる。庁舎を囲むように広がるなだらかな斜面には、たくさんの桜の苗木が植えられ、北風に揺れながらも蕾が膨らみ始めていた。「ここで亡くなった方に花見をしてもらおうということで、桜を植えたんです」。ご自身も庁舎屋上の階段に上って九死に一生を得たひとりである佐藤町長は語った。

復興にあたり「還暦以上は口を出さない」と、若い世代に町の将来を託した女川町。827名の死者を出しながら、「海と共に生きる」ことを選び、大規模な防波堤を造らずに町を再生した。女川駅前から港へとまっすぐに伸びるレンガ道に沿って商店街・シーパルピアが広がる。その一角にあった女川交番は、津波で海中に没した後、引き波によって基礎部分の杭が引き抜かれて2階建てのまま横倒しになった。鉄筋コンクリートの建物が津波で転倒したのは、日本初の事例であったという。

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