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艦橋から

咸臨丸ここに眠る

 静岡市立森下小学校の大先輩であるF客員論説委員が、産経新聞の連載「元号の風景」最終回で静岡市の清水港に来た咸臨丸のことを紹介していた(4月27日付)。やはり静岡出身者、最後は故郷の話で締めたかったようだ。F先輩に敬意を表して、咸臨丸終焉の地を訪れてみた。
 オランダで建造された幕府の軍艦・咸臨丸は1860年、勝海舟艦長のもと日本人の操艦で初めて太平洋を横断したことで知られる。戊辰戦争の後には運送船となり明治4年、開拓移民を乗せて函館から小樽へ向かう途中、北海道木古内町のサラキ岬沖で座礁、沈没した。実は数年前、今はなき寝台特急「北斗星」に乗ったとき、車窓から「咸臨丸終焉の地」の看板が見えて気になっていた。道南いさりび鉄道(旧JR江差線)の駅からは少し離れているため、海岸沿いの道を都合3キロほど歩くことに。
 ♪あした浜辺をさまよえば 昔のことぞしのばるる…(「浜辺の歌」)
 そういえば町内の海岸で昨年11月、北朝鮮からとおぼしき漂着船が見つかったことを思い出した。荒木和博先生が本誌3月号で《中に遺体があるかも》と触れていたが、その後に船内から本当に2人の遺体が見つかっている。やはり海岸に変な船がないか、不審者がいないかと思えて、車の往来が多い道路とはいえ気を抜けない。
 サラキ岬には咸臨丸の模型が鎮座しており、オランダつながりで植えられたチューリップの花が咲き誇っていた。周囲は遠浅の海で、暗礁も多そうだ。またこのあたりの海岸に、北朝鮮の木造船が漂着したりするのだろうか。(編集者M)

 

 ちなみに約400人の乗船者は全員、救助され無事だった

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